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「高知のよさこいを語ってみる」

 
Last updated 2022-07-20  (作成継続中)

 よさこい

●中学時代のよさこい見物
 生録ブーム絶頂の時代、母親に買ってもらったSONYのTC-2890 SD デンスケ(単一乾電池4本・内臓マイクなし・ドルビー録音可・重い・デカイ)を肩からさげ、両手にマイクを持って、初めて追手筋(本部競演場のあるところ・県外の方はよく「オッテスジ」と読みますが、正しくは「オオテスジ」です)へ祭りを見に行った。しかし祭りの醍醐味は期待はずれ、道ぶちに設置したスピーカーから、都はるみのよさこい節が流れ、爺や婆が踊っている。こんなもの録音してどうする。
 
 二日目はつまらない録音も止めて会場へ行くとラッパスピーカーをつけた車に先導され、前日以上にひどい音で踊っていた。みんなが同じ曲だったかは記憶に無いが、ひとつだけロックのリズムで踊る若者チームに目が留まった。後日、友人に聞くと、あれは上田正樹(ヒット曲:悲しい色やね)率いるチームだとわかった。上田正樹は高知で活躍するアマチュアバンド(トラベリンバンド→アプサラス)が気に入ってバックバンドとして全国へツアーでまわっていた。
 
●アルバイトで踊るもの?
 翌年、母から「帯屋町が踊り子を募集しているから踊ってくればいい、日当2000円らしい」何それ、お金もらって踊るの?聞くところによると、商店街の踊り子隊には各店が踊り子を出すノルマがあるらしく、それが出来ないところはバイトを雇ってでも集めてくると言うことらしい。確かに店先には「よさこいアルバイト募集中」と札が掛かっていたような気がする。今では考えられない昔の話。
 
●初参加
 時は過ぎてよさこいとは無縁に育った私は、高校卒業後に社会人となりアマチュアバンドを結成した。その頃、高知で活躍するアマチュアバンド「ぐうぴいぱあ」と出会い、そのバンドがよさこいに参加することになり、私も初めてよさこいを体験することになる。
 バンドとしてでなく、照明・音響を手伝う裏方としてだ。当時の私は郵便局でアルバイトをしながらバンドをしている今風に言うフリーターであった。そんなフリーターがなぜ裏方かと言うと「ぐうぴいぱあ」のリーダーにあった瞬間、このことは予言されていたのかも知れない。「うちのバンドは面白い?」と聞く島村さんに対して、私は「プロのステージは電飾など使って派手にだけど、アマチュアは地味だからねー」と言った。「それならお金出すから電飾やってよ」の言葉に単純な私は乗って人生が変わってしまった。
 3万円もらって電球と配線を買った。ソケットまで買う予算がないから電球に直接配線を半田づけ、点滅機はジャンク屋で集めた部品で組んだ。ステージはアマチュアバンドとは思えないほど派手になり、1500人入るホールの2階席まで使う人気バンドとなった。あれから十数年、後にも先にも高知県民文化オレンジホールを満杯にするアマチュアバンドはない。そんな縁でよさこいに始めての参加を成し遂げた!

 
84年 ぐうぴいぱあコンサート

●地方車はステージだ
 地方車は舞台をイメージしたデザイン。当時、どの地方車もなし得ない舞台照明を取り付け、昼間の祭りだったよさこいが華やかな夜の祭りとなった。夏祭りで露天の電球に蛾が寄ってくるように、踊り子が地方車に群がった。パーライト6台。工事用のライト数台を使うのが主流だった時代にそれはとてつもなく明るかった。

 
86年 地方車はステージだった|86年 MMCミラージュ社中地方車

●大型車輌が暴れる
 ある時代、地方車と言えば生バンド演奏が主流でトレーラーや11トンなど、今では想像できない大型車輌を使っていた。走るコースも細かく決められていなかったので好きなところを走り抜け、他のチームより早く次の会場へ向かうべく競い合っていた。待ち時間は勿論のこと、電車通りを走る移動中でも地方車からは大音響が響き、踊り子が集まれば処構わず即席のライブ会場となっていた。病院の前で盛り上がってよく怒鳴られたこともあった。夜の町である柳町界隈の狭い道へも地方車が看板すれすれで通り抜け、大丸デパート北側では渋滞して、順番を争って喧嘩騒ぎでめちゃくちゃ状態だった。気が付けば「まつり」は規制され不自由なものとなった。自由にやり過ぎた結果と諦める?ドンドン変わっていくのが「よさこい流」。だから時代にあったものにすればいい。15年程前、国友須賀さん(スガジャズダンススタジオ)の登場を境にまつりは地方車に命を掛けて飾り付けると言う時代から踊りを中心をする方向へ変化したように思う。
 
●がんばれ発電機
 照明らしい照明をつけている地方車が少ない時代、発電機はちょうちんと音響の電気を賄うためだけのものだった。2KVAの小型のものを数台載せた地方車は、パネルで囲っているので酸欠気味!一度停まってしまうと掛からない。現在の主流はキーをまわせばエンジンスタート!あの時代は、ひもを引っ張りよっこいしょ!毎年、電気の消費量が増大していく。
 
●特等席
 スタッフと言うと聞こえはいいが、スポットライトの当らない縁の下の力持ち!MMCミラージュ社中の地方車はステージをイメージしているので、スタッフである私の居場所は必然的に環境の劣悪な発電機の上となる。この場所から見るよさこいは、何とも「不思議な世界」で、踊り待ちをしてる踊り子から見ると、そんな処でで何してる状態なわけ、一応法被を着ているから一体感はあるが妙に寂しい気がする。上から見下ろす快感は特等席のなせる技、下からは見えないがそこには、音響卓から始まって照明卓、電飾卓、電源盤など様々な機器が処狭しと並び足の踏み場もない。ゴウゴウと回る発電機の排気で灼熱地獄!車が揺れるとつい煙突を握り締め火傷することもしばしば、雨が降ると漏電して、どこを触ってもビリビリなのだ。「スタッフはMではないぞー」と叫びたい。

 
86年 特等席に置かれた機器類86年|予備の発電機とPC8001

●地方車に魂を掛けて
 MMCミラージュ社中は、社員が一丸となって地方車を造る楽しいチームだった。納車前の規定枠いっぱいの超ロング低床トラックを見つけてきて、社員自らがスピーカーを取り付けるための枠を溶接。枠?このチームは音を遠くまで飛ばすことより地方車の見た目を重視!デザインの為ならスピーカーを下げる!いいかげん長い車が枠のとりつけでますます長くなる。11mを超えていたのでは?それでも3.5tトラック(笑)それでも当時は規定内の車、バイクやボートを運ぶ為の特別な車両らしい。

 
3.5tの超低床車輌バンドからの眺めは最高!

 地方車に電飾を取り付けるのは私でなくMMCの社員なのだ。パネルに穴をあけ、ソケットをつけ配線する!すべて自らが行うので私は機材を提供するだけだから嬉しい。作業は本番当日の朝まで続く。すべての作業を終え、汗だくに汚れた服を着替える為に、自宅へ向かいお風呂にドボーン、ゆっくりする間もなく、法被を身に付けUターン、そのまま本番、夜までエキサイト!

 
86年 本番前日の夕方|86年 作業は朝まで続く

●地方車が完成しない
 89年のよさこいは生涯忘れることができない。例年は8日の夕方に車は装飾を施し、音響・照明・電飾をつける工場へやってくる。それがこの年は、連日の雨で看板屋さんも作業が遅れてんてこ舞い状態だった。値切った分だけ後回しなのか・・・。MMCミラージュ社中の車は骨組みさえ出来9日21時を過ぎて作業現場へ見に行くも何一つ進んでいない。何時になったら完成するの? 見ていても仕方ないので、私は三菱へ戻り待合室で眠ることにした。何時だろうか?ふと目がさめ、近くにいる人に「地方車はー」と聞くと、首を横に振る。あーそうと私はまた眠る。周りが白々と明るくなり始めても車は来ない。

89年 本番前日の夕方の様子

 10日8時過ぎ、踊り子がちらほら集まり始める。あれー地方車は?例年はどうだ!とばかり飾り付けを終えた地方者が踊り子を向かえその前で記念撮影するのが流れだった。そこへ装飾だけされた地方車がさびしく到着!踊り子が見守る中、私は狂ったように動いた「ちょっとそこの人 これやってー」「それとってー」 怒鳴り散らしてぎりぎりで完成!10時過ぎ音響のテストをする間もなく出発した。
 後で聞いて驚いたのだが、私が「あーしろ」「こーしろ」と怒鳴り散らして命令していた人たちはMMCのお偉い方だったらしい。知らないってのは恐い。後にも先にもこんな作業ははじめて、二度とやりたくないものだ。この頃は、チームは踊りよりも地方車で競い合ってた時代のように思う。
 
●セントラルチーム登場
 これは衝撃的だった。踊りに興味のない私でも感動した。実はそれより地方車へ設置した照明へ目が行っていたのだ。車全体が照明機材で出来ている いったい何台あるんだろう。中でオペレートしているひとは大変だろうなあと心配しつつも・・・

 
89年 踊り子の熱気よりも熱いぜ|91年 運転席の屋根に注目

●恐るべしポカリスエット
 夏のお祭りで欠かせないのはやっぱりビール、踊って汗を流した後のビールは何とも言えないらしい。サウナと一緒だからと踊ったことのない私でもそう思う。殆どのチームは、地方車や移動用のバスのほかに、救護車やドリンク車を持っている。ドリンク車には、ワゴン車を使い後部にポリタンクを載せ、氷で冷やした水の中には缶ビールやジュース類がぎゅう詰めなのだ。踊り終わった踊り子は、乾いた喉を潤す為にドリンク車へ群がる。あーうまい♪私はスタッフに「いったいどのくらい」と聞いてみた。祭り期間中で2万本。これはスゴイ。
 一方、地方車に乗っている人たちに飲み物は、イス代わりのクーラーボックスがドーンといい場所に鎮座して、キンキンに冷やされたビールからユンケルまである。時には誰かのタオルまで入っていて泣きそうになる。はじまる前に一本!終わって一本!!炎天下の会場では最後までもたないので飲みながらと言うことになる。地方車は華やかなステージからビヤガーデンとなり、最後はゴミダメとなる。
 当然のことながらスタッフと言えども祭りでは飲みながら参戦。不思議な事にいくら飲んでもトイレに行く事がない。暑さですべて汗になってるからかも知れない。私はと言うと、普段は飲む方なのだが、祭り期間中は飲んでも一日3本まで、飲むのはもっぱらポカリスエット系なのだ。乾いたカラダにはこれが最高で、いくら飲んでもスーっと宣伝文句どおりカラダに吸収される。ある年のよさこいでは2日間で33本のポカリを飲んだ!ついでに言うと、街角でてんぷら(さつま揚げ)や刺身を買ってきて居酒屋モードで楽しむスタッフもいる。なかにはトイレに行って帰ってきたら自分のチームがいなくて迷子になったと言うスタッフの話は有名。今は携帯もあるけど、その頃はなくてみんな大慌て。オペレーターがいなければ音は出ないからね。修学旅行じゃないけど移動の時はスタッフも含めて人数確認をお忘れなく。
 
●電気がなければ音も出ない
 ある年のよさこいは泣いた。電球400個で飾られた地方車も電気がなければ活かされない。二日目の夕方、愛宕会場だったと記憶しているが、午前中から不機嫌な発電機は、祭りの真っ最中に停まってしまった。突然停止した発電機を見ながら時間だけが過ぎていく、キーをまわすとスタートする。すぐに音響、照明の電源をいれる。するとすぐに停まってしまう。音響だけだと何とか動いている。照明を全て消してその会場は踊り終えた。発電機のレンタル会社へ電話するも休みなのか誰も出ない。発電機をのぞき込んでもそれらしい原因がわからない。誰かが言った、発電機を載せた車を用意しよう。動きならの地方車では現実的でない。載せかえる事もできない。みんなにため息が走った。>プロジェクトX風 どうする事も出来ないまま、この年のよさこいは暗く終わった。後になって原因が判明!初日に燃料切れで停まった際、エンジンにエアーがまわったことで調子が悪くなったらしい。「後の祭り」とはこのことである(泣)翌年からは40KVAの発電機の他に、予備に10KVAを載せて挑む事になった。

 
88年 昼間でも電飾は華やかに輝く|88年 電気が有ってこそ

●この発電機きらい
 友人の音響さんに機材だけ貸してと言われ、パーライト10台と予備球4個を渡した。初日の夕方に帯屋町で会うと何故か一台のライトも点灯していない。昼間でも付けたらいいのにと言うと、友人は全部切れたよと言う(汗)そんな全部同時に切れる何て考えらられない。踊りの真っ最中だから発電機もまわって、音も鳴っている。でも・・・。私は急いで自分の地方車に戻り球を持ってきた。4台だけ球を交換してつけてみる。やっぱり昼間でも明るい。で何故?を尋ねると電圧が不安定だと言う。そこで電圧調整のつまみを回したら電圧が上がり過ぎて全滅となったらしい。発電機を見ると私の嫌いな△□○社のものだった。やっぱりー(^_^;) 言うまでもなくこの年は大赤字で終わった。
 
●音響設備
 20年ほどの前の音響設備は、選挙カーなどでよく見かけるラッパ型のスピーカーをメインに低域用の4560,高域用の2441を各4台、これで当時はトップクラス、ドンドンシャリシャリで祭りならではの喧しい爆音だった。

86年 ベガ+60+41+ラッパ

 音響設備は地元の業者よりレンタルすることが一般的で、オペレーターの乗ってないチームは半数以上あり、本番中にアンプから火を噴く、鳴らしすぎてスピーカーを飛ばして音楽がないまま踊り続けるチームなどトラブルがあって当たり前と言える時代でもあった。

 
88年 現在の帯屋町筋チーム|88年 現在のゑびす・しばてん連

 当時一般的だったシステムは、ラッパ(トランペットスピーカー:遠くまで届くが音はお世辞にもいいとは言えない)とベカ(映画館などで使われていた低音用のスピーカー)。60W程度のアンプ付きミキサーでラッパを鳴らして、別にアンプでベガを鳴らす。マイクはシュアー社などの本格的なものは皆無でプリモが定番。もちろんバンド演奏が主流とは言え、地方車の中にはモニタースピーカーなどは一切ない。オペレーターもバンド兼任で踊りが始まれば演奏に集中して、出ている音はひずみっぱなしが普通だった。

 
よしづの裏には低域用のスピーカー元祖よさこいPAのラッパ+ベガ89年 アートウェーブ89年 キャラバンサライ

 ある年に県外から音のいい機材を取り寄せサービスを提供する業者が現れたことで、機材のレベルが上昇。ターボサウンドのスピーカーが定番化するなか価格も平均20万円だったものが60万円を超えるチームまで現れた。

 
02年 サニーグループ|02年 鳥取県だー!

 現在、ラッパだけで参加しているチームは少ないものの、高知大学南瞑寮チームのように音響設備と言えば、楽器アンプだけというものもある。自分達が楽しむために参加!元祖よさこいを感じるチームである。対極にあるものとして91年の西山グループはEV社MT4を2列3段載せていた。地上高は規定の3.8mを超え黒いスピーカーの壁は見るものを圧倒していた。祭りを終えた車のフレームは重いスピーカーに耐えられず曲がっていたそうだ。何事もほどほどにが肝心(^_^;)

 
02年 南瞑寮チーム|91年 西山グループ(トヨタ)

 01年、四国開発グループチームの最後尾を歩いて本部競演場を通ったが最後尾ではとても満足な音ではなかった。前の踊りに合わせて踊っている。大きな音を出してもすぐ隣に他のチームがいればかき消されて無理なお話。

 
01年 本部競演場(南コース)|01年 本部競演場(北コース)

 メイン会場である本部競演場はテレビ中継もあって、踊り子にとっては最大の見せ場!晴れの舞台とも言える。スタッフにとっても負けたくないの一心で腕の見せ所と言える。ただこの会場だけが並列走行。隣に大規模な音響を載せたチームが並ぶと爆音に自分のチームの曲はかき消され、とてもじゃないけど踊れない。見物のお客さんにしても、反対側で踊っているチームの音など聞こえないわけで爆音響くなか何が何だか分からない。
 いい音を望むなら、踊れる曲と言う意味で曲そのものも大事だけど、地方者は踊りの最中でも乗り降りし易い構造でするとよい。殆どのオペレーターは一人で乗っているので、確認のため何度も後方と卓の間を往復することになる。脚立があると言われても(^_^;)
 毎年エスカレートする設備で一時を規制をする動きもあった。騒音計を手にした係りの人が寂しそうに大音響で鳴るスピーカーの前で汗をふきふき測定している光景が見られた。もう少し音を下げてー「はいはいー」とオペレーターは音量を下げるわけがない。そんなことしたら翌年から仕事が来ない。いい音で適音!こんな不確かなものに基準など無い。きれない音であれば少々大きくても不愉快にも思わないが、汚い音なら小さくても耳障り!好きか嫌いかで変わる。その後、規制する話は出てこない。
 
●照明設備
 昔のように大型車輌での参加が出来なくなり、地方車は単なる音響設備の車輌になったかとも思うがやはりチームにとっては象徴であるので粗末にはできない。どんなに綺麗に飾り付けても暗い会場ではそれも無駄になってしまう。本部競演場はTVの中継などもあって明る過ぎるほど明るいが、地区会場は夜ともなれば真っ暗、発電機付きの水銀灯で照らしてもさむーい灯りで祭りを盛り上げるには少々役不足、地方車に取り付けられた照明が踊り子を照らす。踊り子が前方から降り注ぐ閃光の中で乱舞する。

 
02年 四国開発グループ|02年 四国開発グループ地方車

 
 音が聞こえなければ始まらない「よさこい」でも、今や照明設備は欠かせないアイテムのひとつと言える。曲にあった照明はより踊りを引き立てる。150を超えるチームの中で照明のオペレーターを乗せているのは数える程しかないだろう!一般的には音響さんにお願いして番をしてもらうスタイルは殆どである。平均的にはパーライト8~12台程度だろうか?中にはムービングライトやサーチライトまで載せているチームもある。

 
白い閃光を放つ地方車|高価なムービングライト

 一般的になった照明でも活躍するのは暗くなってから?もったいないと聞こえてきそうだがそうではない。アーケードの中では昼間でもその効果は十分ある。例え踊り子が明るく照らし出されなくても、光は踊り子に届き燃えるエネルギーとなっていると言える。

 
西山グループ(トヨタ)|グローイングカンパニー

 綺麗に飾られた地方車をより綺麗に見せるには、照明や電飾でライトアップする。踊り子へ向けライトのほかに、地方車用を用意する。看板やパフォーマンスをする人を照らす。またスピーカーの上で叫んでいる人(煽りひと?)へ向けることを忘れてはならない。本人は熱くてまぶしいだけでも、声だけでは目立たない。

煽りにも照明を当てている

 少ない台数で効果を上げるひとつの方法として、カラーフィルターは明るい色(薄い色)透過率の高いものを選ぶといいでしょう。また演出にこだわって色数を増やせば全体を染めることは出来なくなる。いっそうの事、カラーフィルターを入れない。予算があれば専属のオペレーターを載せることをお勧めする。
 どうせ載せる照明設備なら綺麗に取り付けるに越したことはないが、一般の公道を走り回る地方車では、走っている最中にライトの向きもめちゃくちゃになる。少ない台数なら尚の事、踊る前には向きをあわせる事をお忘れなく
 
●雨でも踊る
 私の知る限り雨で中止になったことはないと思う。準備段階から連日の雨で悩まされた年、当日の午前中に暴風雨警報が発令された年、それでも祭りが始まれば眩いばかりの晴天となる。夏の雨は一度降り出すとドシャ降り、見る見るうちに空は暗くなり、大粒の雨が降ってくる。高知の雨は南の島のスコールとよく似ている。傘があるから大丈夫と思うのは甘い話で、雨は路面からも降ってくる。

 
先頭がアーケードへ突然のドシャ降り

 2002年の雨は特に印象的だった。帯屋町のスタート地点では異彩を放つアートウエーブチームが踊りはじめ、先頭がアーケードの中へ進んでいく。チームの半分がアーケードへ入ったとき、あの雨がやってきた。近くで見ていた人は悲鳴と共にクモの子を散らすように屋根のある場所へ隠れ、踊り子を遠めに見ている。スローテンポでなかなか前に進まない。ずぶ濡れになった踊り子はそれでも踊り続ける。それから数分、雨も上がり我がチームは何事もなかったように踊りはじめた。

 
それでも踊|衣装はずぶ濡れ

 雨で一番困るのは、音響や照明などの装置が濡れること。パーライトなど一部の照明機材は雨の中でも使えなくはないが、スピーカーや卓周りの装置は水気を嫌う。そのため地方車には雨対策用にブルーシートが積まれている。それでも踊りの最中に突然降る雨は特に困り者で、少ないスタッフで作業を進める。動いている車に載せたスピーカーにシートを掛けるのは恐い。
 究極は地方車に屋根がない、デザイン重視?予算削減?たとえ雨が降らないとしても、厳しい日差しで疲労困憊、ビールはうまいだろうけど・・・ 雨の降らない年はないと断言する。オープンカーに乗ったオペレーターは気の毒である。
 
●運転手さんも楽しんでいる
 忘れてならないスタッフの一人に地方車の運転手がいる。ある年の運転手は飲んではいないものの(汗)とてもハイになり、進まない車から降りて踊っていた。これは極端な話だが、大勢の人から見られることは快感となるらしい。

 
出番を待つ運転手|ピース!

●メダル
 踊った事のない私でもメダルを持っている。メダルを貰えるのは踊り子だけではないようだ。地方車の上でパフォーマンスをしているひと、演奏しているひと、配られるメダルの数も1万個を超えていると聞くから参加賞のようなものだけどそれでも貰えると嬉しいのがよさこいのメダル。さすがに本部競演場だけで貰える花メダルはもらったことない。当たり前かー(笑)

引き出しにあるメダル

●タンスの中で衣装が眠る
 毎年スタッフとして参加しているが、チームによっては踊り子と同じ衣装を着てくださいと言われることもある。同じ衣装だと気分もいい。仕事してまーすって感じじゃなく一緒にがんばってるって感じがする。もらった衣装は箪笥の中で眠っている。そう言えば、Yahoo!オークションで「よさこい衣装」が出品されていた。ある意味リサイクルなのか(笑)

●25歳で上京
 ぐうぴぱあの島村さんをはじめ仲間に見送られてバブルの東京へ。最初は吉祥寺の友人宅へ居候し、その後町田で9年を過ごす。本社は世田谷区で仕事場は神谷町。神谷町ってどこ?東京タワーの下。仕事の内容は***。***の管理業務、華やかなファッションショーや展示会にコンサート、「これは最先端」と楽しいバブル期を過ごした。
 その後、現在の***のホール管理をしたのち、バブル崩壊でクビとなり路頭に迷う。拾ってくれたのは、***の照明をメインに手掛ける会社、これまた最先端の機材を毎日さわれ楽しかった。小室哲也全盛でTRFがレコード大賞を取った年だった。
 それもつかの間、色々ごたごたがあって高知へUターン!その頃、神奈川県相模大野でよさこいをすると聞きもう一年早かったらと残念に思った。
 その東京生活9年間の間も毎年夏には高知へ帰省しよさこいで遊んでた。ある年は、晴海から徳島へフェリーで照明機材を満載の品川ナンバーのハイエースで、ある年は、晴海から高知へ
 
●携帯って便利だよね
 2003年、時代は変わってアトムの誕生した年となった。腕時計型やテレビ電話まで登場して、今では誰もが当たり前に電話を持ち歩いている。十数年前の携帯と言えば、はにわを思わせる様相でお世辞にも小さいとは言えない代物、しかも通話料や契約料も驚くほど高く、一般人にとって高値の花だった。そんな時代にまつりで活躍したのはアマチュア無線や仕事で使っている簡易無線、スタッフは無線機片手にすぐに踊れる会場を探してその腕を競っていた。
 レンタルの携帯電話が始まった年に私は早速借り仲間と連絡を取り合った。無線だと片側通話で届かないこともあるが携帯はとても快適、普及するに従い、まつり期間中は混雑してやれ「ドコモはダメだ」の「セルラーはいいぞ」など別の意味で話に花を咲かせた。
 今ではネットを使った「どこいこサービス」などもあり、見たいチームを探す事も、空いている会場を見つけることも容易になった。見物人にとっても便利な時代になった。それでもまつりはアバウトなスケジュールで地方車に乗っている私自身「次はどこ?」って聞きたくなる。不便さもまつりの楽しみなのかもしれない。
 
●高知へ帰ってみたものの
 少しずつ仕事も増え、順調とは言えないものの成長し続けている。ひょんなことから四国開発グループ地方車の照明の仕事を頂き、楽しいよさこい期間を過ごしている。
 
●解散するから成長する
 高知のよさこいは、毎年チームを編成して本番が終われば解散する。最高の一瞬の為に練習して爆発する。熱しやすく冷めやすい高知人の性格から、いつまでもよさこいを語っている人は少ない。突然降って沸いた様に盛り上がり終われば余韻もなく消えていく。その一瞬の為だけに曲・振り付け・衣装など手間を掛ける。無駄と言えば無駄なようにも思うが、この無駄こそ祭りだとは誰かのお言葉。
 確かに継続すれば予算も掛けられ北海道のように高いレベルのものが出来るかもしれない。年中よさこいモードで県外まで遠征して楽しむ高知のチームは少数派。それに対して北海道は同じチームで毎年踊るスタイルが普通と聞いた。えっ!なにそれ? 同じじゃつまらない。高知でおらがチームと思っているのはスタッフ側で踊り子は募集が始まると何処で踊る?なのである。よさこいの楽しみ方も多種多様ってわけかな
 
●女のまつり
 よさこいは女性が輝く祭りだと感じる。お神輿を担いだり、ご神木にまたがって斜面を下るよな祭りでは男が活躍する場がある。しかし、よさこいは誰が見ても女が主役!サニーグループは女子中高校生をメインにサンバのリズムで爆発、元気で楽しいチームのひとつだ。あの衣装で踊ってる男性を想像すると気持ち悪い。「若くなきゃダメ」と聞かれるとそうでもない。高知シニアと言うチームはかなりの平均年齢だ。デジカメ持って会場をウロウロしていたら私を「***ー」と呼ぶ声!誰がいったいと振り返ると、そこには私の母が・・・・だから若くなくてもそれなりによさこいは楽しめるまつりなのです。
 
●やられた!
 誰もがそう思ったのかも知れない。それは女の子3人のチームだ!先導する地方車は自転車で音響設備はラジカセ!出場については主催側ともめたと聞いているが、こんなチームもOKってのは高知人として嬉しく思った。よく同業の仲間と飲むと、「今度こんなチーム作ろうよ。スゴーい設備して踊り子は数人」言いながら先を越された。やったひとは偉い!考えるだけでは凡人。
 しかし、それも翌年からはNG。これも聞いた話だが、小規模チームが増えたらまつりにならないと言うことらしい。あらら、そんな・・・ 新聞紙上には決定に反対する意見も取り上げられ物議をかもし出した。チーム数を限定すればとかアイデアが出されたが結局はダメで落着。またひとつ規制が増えたとわたしは思った。何か枠からはみ出れば、お決まりの公共の利益とか言い出して結局は出る杭は打たれる!ものは言わない方が得、やな時代だなあ
 
最後までお付き合い頂きありがとうございました。m(__)m 2003.6


2003年6月22日追記
●スタッフのつぶやき●
飲むなら最後まで飲め! 汚れたコードがビールで酔っ払うじゃないか
よさこいじゃ高価なスピーカーもお立ち台かよ
おいコラっ!そこのあんた!吸殻をライトの中に捨てるな!灰皿じゃないぞー
発電機:誰が管理するの? おいおい 燃料ないよ
エンジンスタート!:キーには手が届くけどバッテリーのスイッチが・・・
給油口: 綺麗にパネルで塞がれているぞ
煙突: 排気は完璧でもエンジンだって排く前に吸うのじゃない
発電機: ケチケチしないでまわして行こうよ。イザと言う時の為に
お金くれなきゃ音は出さんぞ!地方車の上で現金の受け渡し
カネは払えん!祭りが終わって言うなよ。返品お断り!ある作曲者より
 

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